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ビッグ・フィッシュ|「社長テーマ課題」制度 vol.7

第7回目の社長テーマ課題は『ビッグ・フィッシュ』
»関連記事「映画やアニメ、漫画好きにはたまらない!ユニークな「社長テーマ課題」制度とは」

『チャーリーとチョコレート工場』や『シザーハンズ』『アリス・イン・ワンダーランド』などよく考えたらよくわかんない映画を作るティム・バートン監督の作品です。(個人的主観&個人的には独特な演出方法に圧巻だと思っています!)

「ビッグ・フィッシュ」にはティム・バートン常連組のジョニー・デップが主人公ではなくユアン・マクレガーが主人公。ティム・バートン自身が現実世界をそのまま舞台として描いた初の作品。(by wiki)
『ビッグ・フィッシュ』というタイトルの通り「大きな魚」という意味ですが、この「大きな魚」を巡って不仲だった親子が・・・というストーリーです。

個人的には大学生時代に観たことがあり、かつ数年前にマネジメント研修の課題になって改めてカミさんと一緒に見直した作品。ティム・バートン作品の中では一番好きかも?と思いつつ「あー・・・でもフェノミナンの方がもっと好きかも?」とよく訳のわからない感情になっていましたww

さてさて、そんなビッグ・フィッシュの課題テーマですが
「嘘と想像力の違い」「人を楽しませるってどういうこと?」「愛される人になるには?」

ネガティブな表現も暗いイメージも全くない、とっても見やすい映画ですのでぜひ!
https://www.sonypictures.jp/he/750262

受賞作に対しての社長コメント

みなさん、課題提出ありがとうございました!過去1番の提出率!
忙しい中時間を作って提出してくれた方全員を受賞とします!中には文章が尻窄みになっちゃって勿体無い方もいましたがそれはそれで良しとします!

でも新年度、よく頑張ってくれました!
そして皆さんの感想文を読むという楽しい時間を提供してくれてありがとう!

今回の社長賞一つ目は
『映画「ビッグ・フィッシュ」を見て』
作者:A氏

はじめに…

今回の課題「ビッグ・フィッシュ」は、私にとって初めての洋画でした。これまで特に機会もなく洋画を見てこなかったので、「文化も言葉も違うけど理解できるのかな?」と少し不安でした。結果としては、意外と理解できました!
「共感とか全然できないかも」と思っていましたが、お父さんと息子の関係を自分の家族に置き換えて考えてみたり…
渡邉さんが「この映画は見やすい」と書かれていましたが、この作品が1作目で良かったかも!と
これをきっかけに、他の洋画にも挑戦してみたいと思えた、とても良い作品との出会いでした。

1つ目のテーマ「嘘と想像力の違い」

このテーマは頭に残っていて考えながら映画を見ていました。最初は”嘘”と”想像”たしかに似ている言葉だなぁと思いましたが辞書で調べると意外と意味が全然違うんですね。

嘘:事実ではないこと、正しくないこと、適切でないこと
想像力:頭の中で様々なことを思い描く力
(想像:実際には経験していないことや、現実には存在しないことを心の中で思い描くこと)

私の感想としては”嘘は想像の中の一つ”です。
誰かが想像をして、それを受け取る側(自分も含む)の気持ち次第で嘘になるのでないかと、受け取り側が、自分で理解できないもの 拒否してしまうもの そういったものが嘘なのではないでしょうか。
例えば、「宇宙人を見た」という話があったら「宇宙人はこの世界のどこかにいるかも!」と思う人にとってはこの話は事実になる思い、「宇宙人なんてありえない!」と思う人にとってはこの話は嘘になると思ったからです。嘘は想像の中の一つで、受け取る側が変わればときに変化していくものだと思いました。

2つ目のテーマ「人を楽しませるってどういうこと?」

最初に出てきた言葉は”エンタメ”です!ただこの映画を通して考えたとき、”エンタメ”という言葉はあまりしっくり来ませんでした。映画に出てきた父親の作り話や、病室でのやりとりを思い返しました。楽しませることをもっと身近に考えていくと、それは誰かへの気遣いではないでしょうか。相手が楽しめるように、場の雰囲気が良くなるように…
誰かのことを思って行動することが、結果的に人を楽しませることになるのかもしれません。
私自身、人を楽しませることに自信がないので「楽しませよう」と意識するより、誰かのことを強く想う気遣いが大事なのかなと思いました。

3つ目のテーマ「愛される人になるには?」

このテーマが一番難しかったです。愛される人ってどんな人だろう…なんとなくイメージは出てくるのですが、うまく言語化できず…映画の中で、息子さんは父親のことを「愛される人だ」と言っていました。
その為、”愛される人=父親”で考えてみました。父親の周りには沢山の人がいました。私が大人になりながら思うのは、大人は自由で付き合う人を自分で選べるようになります。自分が会いたくない人に、会わないようにする方法は沢山あります。愛される人になるには、「また会いたい」そう思わせることが必要なのではないでしょうか。ただこれは”愛される人=父親”(父親の周りには沢山の人がいた)という仮定の中の結論で自分の中の答えとしては”よくわからない”が本音になりました。

今回の社長賞二つ目は
『自分の人生に無限の想像力を』
作者:Y氏

この映画を鑑賞し終えて、直ぐに自分の父親の姿が思い浮かんだ。 ウィルの父、ブルームと似ていて、私の父は話を盛る癖がある。そして自分の中の十八番である面白い話をいくつかストックしていて、ここぞと言う時に家族の前で披露する。わたしも母も兄も「その話は前にも聞いた。」 と呆れていたが、私が物心着いた頃には離れて暮らしていた父なりに、家族を楽しませたかったんだろうと今は思う。

嘘と想像力の違い

劇中、エドワードはおとぎ話のような自伝を家族や周りの人達に聞かせる。ただウィルはそんな父が成長と共に、”嘘ばかりついている”と嫌になっていた。ただエドワードは本当に嘘をついていたのだろうか?ラストシーンでそれは明らかになる。 結論、嘘は付いておらず、エドワードは想像力で話をふくらませていたのだと私は思った。
ひとつの物事を経験するにしても、人によって感じ方はそれぞれである。 事実だけを汲み取る人もいれば、エドワードのように無限に話を膨らませることが出来る人もいる。
嘘は自分のための都合のいいものだと思うが、エドワードは周りの人を楽しませるためにおとぎ話のような自分の話を聞かせていると思った。

人を楽しませるってどういうこと?

エドワードは死期が近づいた時、ウィルに自分が死ぬ時の話をしてほしいと頼む。そこでウィルは現実離れした話を父に聞かせる。ここでもし、ウィルが現実的な話をしていたらどうだろうか。まるで自分の人生が味気ないものだと感じてしまうのではないか。人生の中で起こる出来事は事実だけではきっとつまらない。

愛される人になるには?

エドワードの葬式の時には多くの人々が参列した。大男も狼男のサーカスの団長も、双子の歌手もそこにいた。彼は人生において選択する場面で、面白い方へ進んで行った。たとえば大男は街のみんなに恐れられていた。普通なら近づこうとは思わないが、エドワードは自ら声をかけて、一緒に街を出た。そしてそれによってのちに妻となる運命の女性に出会うことになった。
彼の人生はホラ話ばかりではなく、無限の想像力で広がる夢のような物語である。自分の人生を味気ないものと感じるか、それともエドワードのような夢のような物語するかは、現実を生きる私たちでも無限に想像して、選択していけるのではないかと思う。

今回の社長賞三つ目は
『あの頃、空を飛んでいた。』
作者:H氏

今回、映画『ビッグ・フィッシュ』を初めて拝見しました。不思議な世界観と、親子の関係を描いた物語にとても心を動かされました…!また、空想と現実が交差する中で、「人を楽しませること」や「家族」について、改めて考えるきっかけになりました。

嘘と想像力の違い

『ビッグ・フィッシュ』を観てまず思い出したのは、私が幼い頃、父がよく話してくれた不思議なお話のことです。
私の父は、「嵐の日に傘をさして空を飛んだことがある」「お父さんは江戸時代に生まれた」「おばあちゃんの家の近くの木に囲まれた病院にはお化けが住んでいる」……など、「嘘」の話を本当のことのように話していました。当時の私はそれを本気で信じて、ワクワクしながら耳を傾けていました。(母はそんな父にまた変なこと言って、と笑っていた気がします)今思えば、あれは「嘘」ではなく、父の「想像力」だったのだと思います。

「嘘」は人を傷つけたり、事実を歪めて自分を守るために使われることが多いです。しかし、私の父のお話や、映画の中でエドワードが語る物語は、相手を楽しませて、想像・空想の世界に連れていってくれる、ただの嘘ではなく「温かい嘘」でした。
「想像力」は、人の心を豊かにして、人生をカラフルに彩る力だと思います。幼い頃、父の話に夢中になったように、大人になってからも誰かの「想像力」に触れると、日常の枠を超えた、キラキラした何かを感じることがあります。『ビッグ・フィッシュ』は、そんな人間の想像の力を改めて思い出させてくれました。

人を楽しませるってどういうこと?

「人を楽しませる」そう聞くと、話術や技術が必要そう…ハードルが高そう…と感じてしまいますが、実際には「相手の心を動かすこと」が本質なのだと思います。エドワードの話も、聞く人に笑いや驚きを与えるものでした。
人を楽しませるには、相手を思いやる気持ちと、「楽しい!」を共有したい気持ちが大切なのだと思います。エドワードも、ただ自分の話を聞かせたいのではなく、相手が喜ぶ顔を想像して語っていたのかもしれません。だからこそ、彼の話に引き込まれ、心を動かされ、ワクワクしてしまいます。遊び心や想像力を持ち寄ることで、人間関係はぐっと柔らかくなる。「この人を楽しませたい!」という気持ちは、心を通わせる第一歩なのだと思います。

愛される人になるには?

愛される人の共通点ってなんだろう。エドワードは誰かと出会えばその人と深く関わり、信頼を生み出していました。そして、最期には多くの人が彼のもとに集まり、実際に彼の存在がどれだけ愛されていたかが明らかになります。
彼が人に愛された理由の一つは、作中でも語られていましたが、その非常に高い「社交性」にあったと思います。どんな相手にも臆することなく話しかけて、相手に興味を持ち、笑顔を引き出す…そんな「自分も楽しみながら、相手も楽しませる姿勢」と、誰とでも壁をつくらない性格は、周囲の人に愛される条件の一つだと思います。
「社交性」は、特別なスキルではなく「自分から一歩近づく勇気」から生まれるものなのだと思います。エドワードのように、相手との距離を縮めることを恐れずに、時には冗談を交えて関係を築くことで、相手との信頼関係を深めることができるかもしれません。

最後に

終盤で、ウィルが自分自身の言葉で父の最期を物語として語る…ストーリーテラーとなるシーンはとても印象的でした。
親のあり方を受け入れ、自分の中に受け継いでいくウィルの姿は、私の心にも深く響きました。
『ビッグ・フィッシュ』を観て、幼い頃の自分と両親との思い出を振り返っては、じんわりとあたたかな気持ちになりました。親子のつながりや、物語の持つ力を改めて見つめ直すきっかけをいただけた気がします。たまには、空想話に花を咲かせてみるのもいいのかもしれません。「あの頃、嵐の日。私は傘を持って空を飛んでいました。」

今回の社長賞四つ目は
『親愛なる貴方へ。物語の花束を。』
作者:K氏

概要

今回の作品『ビッグ・フィッシュ』(Big Fish)は、2003年に公開されたティムバートン監督のファンタジー映画です。
ティムバートン監督作品には、「変人」が効果的かつ魅力的に、必ずと言っていいほど登場します。 特徴的な見た目や変な癖…「変人」であるがゆえに周り(登場人物たちや、私たち観客)と馴染めないキャラクターが、 だんだんと周囲の気持ちを動かして受け入れられていく。他者からはみ出した者が”誇れる自分らしさ”に気づく。その人らしさ=個性を肯定してくれるような、構図が多いように思います。

今回のビッグ・フィッシュも例外ではないのですが、 ティムバートン監督本人が前年に父を亡くし、お子さんが産まれているという背景も鑑みながら物語を紐解いていくと、とても感慨深い作品になっています。

課題のテーマ

今回の課題テーマですが、すばり「嘘と想像力の違いとは?」・・・おお。
まずこのテーマを聞いてすごく面白い!と思いました。「嘘」と「想像力」この2つの言葉を横に並べて、違いを考えてみようと思ったことがなかったからです。せっかくなので、作品を見る前に自分で一度、「嘘と想像力の違いとは」を考えてみようと思います。

嘘と想像力の違い。嘘をネガティブに、想像力をポジティブに表現するのであれば、このように考えました。
=実際にあった真実を隠す行為。「現実をごまかすこと」であり、現実の可能性を閉ざすものである。
想像力=実際にないものを作り出す行為。「現実から空想するもの」であり、現実の可能性を広げるものである。
どうでしょうか?こういった言葉の考察するのは個人的に好きで楽しいのですが、 はたして作品を見た後、どうなるのか!?どんな気持ちになるのか!?

それでは鑑賞タイム、スタートです!

鑑賞中。。。(2時間5分)しばらくおまちください。

鑑賞

・・・ふう。というわけで物語のあらすじをさらっていきます。

とてつもなくバカでかい魚を一人で釣り上げる話、自分の死に様が左目に映る魔女と出会う話、巨人と友達になる話・・・いつもホラ話の冒険譚をする「変人」父・エドワードと 幼い頃から父のホラ話を聞かされてもう心底うんざりの息子・ウィルの物語。

ウィルの結婚式で、案の定ホラ話のスピーチをするエドワードと親子喧嘩になって以来 疎遠な関係でしたが、エドワードが病に倒れたことをきっかけに、エドワードがこれまで生きてきた道を辿り・・・ という「親」と「子」の関わりを描いた作品なのですが、父の人生や関わった人たちに触れていくうちに、確執のあった息子ウィルの気持ちに変化がうまれ 並行して父のホラ話には、たくさんの事実が含まれていたことも明かされていきます。クライマックスには父の最期に寄り添い、あんなにホラ話が嫌いだったウィルが空想のお話をしてあげる。 という素敵なシーンが待っています。そして、これまでの空想と現実が巧みに入り混じったラストシーンへ・・・

全体を通して人を楽しませるための作り話の肯定=”物語讃歌”がふわっと湧き上がってきます。大きな魚(ビック・フィッシュ=父の物語)と共に。。
・・・そんなお話。

課題考察していきます!

「嘘と想像力の違いとはなんだ?」 鑑賞を終えて、再びこの問いに戻るわけですが、この作品における「嘘」と「想像力」のメタファー・・・それはなんだったのしょうか?

ウィルは最初、父の話をすべて作り物のホラ話だと思っています。 いつも話に尾ひれをつけて、あり得ないことをしゃべる父にうんざりしている。 冒頭ウィルにとっては、ホラ話=嘘であり、嘘は軽蔑の対象です。
ですが、父の人生を追いかけていくうちに、愛に満ちた人であることがわかってくる。 父が語っていたのは、「愛」に溢れた想像のお話だったわけです。

嘘と想像力の違いとは=「愛」。ではないか?
父を受け入れたことで、その瞬間ウィルの中で「嘘のホラ話(軽蔑)」は「想像のファンタジー(愛)」へと変わっていったのでないでしょうか。ウィルは父への「愛」から、父を喜ばせるために必死で空想の話を語りかけます。その話はまさしくラストに相応しい想像力の物語(ファンタジー)でした。

長々と書きましたが、、 なるほど、こういう見方もできるのね。と楽しく思っていただけたら嬉しいです!
それではまた!(余談になりますが、 タイトルは、劇中の水仙がすごく印象的だったでそこから。 画像は、AIに「嘘と想像力のイメージ」で作ってもらいました。)

今回の社長賞五つ目は
『愛されるホラ吹き』
作者:S氏

まず、映画の感想としては、現実世界を描いたティム・バートンも悪くないなと思った。
現実の中にもユーモアや幻想がさりげなく散りばめられていて、「ティム・バートン節」が垣間見える演出が面白かった。
そしてユアンマクレガーをティムバートン作品で見るのも新鮮だった。

父は探検心や冒険心にあふれ、自分の人生をまるで物語のように語っていた。
その話は信じがたく、嘘(冗談)のようで、多くの人が「全部作り話なのではないか」と思っていたほどだった。息子もそれを嘘だと思い、嫌っていたように見えた。本当の父を知りたいという気持ちが強かったのだと思う。
しかし、物語が進むにつれて、「すべてが嘘というわけではない」とわかってくる。現実とフィクションが混ざり合ってはいたが、その根底には確かな真実が存在していた。

嘘と想像力の違い

嘘と想像力の違いについて考えたとき、紙一重のように感じた。
嘘とは事実とは逆のこと。欺きなど。嘘には悪意のあるものもあれば、誰かを思いやってついたりする、いわゆる「良い嘘」もある。
想像力は、嘘や物語を語る際の土台になるような、より概念的な力だと思う。
単なる嘘ではなく、想像力によって相手を楽しませる。父はその想像力を駆使して、自分の人生を物語として再構築し、嘘の中に「自分らしさ」や「真実の感情」を織り交ぜていたように感じる。

また、嘘と物語は似て非なるものだなと感じた。
この作品では、嘘が単なる欺きではなく、人生の物語を語るための手段として使われている。
父は自分の人生を大げさに語ることで、現実の枠を超えた物語を作り上げ、その中に彼の感情や家族への愛が込められている。
嘘はあくまで物語の一部であり、それが真実を語る方法にもなる。この物語の中で、嘘はただのフィクションではなく、人生の本質を伝える力を持っていると思った。

人を楽しませるってどういうこと?

この「嘘」と「想像力」は、「人を楽しませる」ということにもつながってくると思う。
作中の父は、まず自分自身がその「嘘」と「想像力」で作った物語を楽しそうに語っていた。その「楽しさ」は自然と周囲に伝染していたように思う。
人を楽しませたいなら、まず自分が楽しんでいること。父の語りには、その原点があったように思う。 また、誰もが「そんなバカな」と思いつつも、「意外とありそう」と信じたくなるような絶妙なバランスの話をすることで、人を惹きつける力もあったように思う。

愛される人になるには?

そして、父はいろんな人から愛されていた。ただ社交的だとか、正直者だとか、誠実なだけではなく、 父のように「嘘の中に真実を込められる人」も、人の心に深く印象を残す存在になるのだと思う。物語の最後では、父の最期の瞬間を、息子が物語として語る場面がある。父が生きてきた「物語」の世界を、今度は息子が引き継ぐ。あれほど父の話を嫌っていた息子が、それを受け入れ、自分の言葉で語り始める。その姿に、父の愛や人間性がしっかりと伝わっていたように感じた。父は人生を語り続けるうちに、語った物語そのものになっていったのだと思う。
「語りすぎて、本人がその話そのものになってしまった」そんなふうに、物語と父は切り離せない存在になっていた。

「死ぬこと」は事実だが、「どう死ぬか」は物語で語られるフィクションでもいい。
たとえ嘘であっても、相手を思いやる想像力のこもった言葉や行動は、人の心に残り続ける。父は決して人気者になろうとして物語を語っていたのではない。 ただ、少しユーモアがあり、人生を楽しむ心にあふれた人だったのだろう。そんな父の「物語として生きる」というあり方が、多くの人に愛され、永遠に語り継がれる存在へとつながっていったのだと思う。

今回の社長賞六つ目は
『人生は壮大な冒険』
作者:R氏

はじめに、私は自分の考えを整理して言葉にするのがあまり得意ではありません。ですが、頭の中には伝えたいことや感じたことがたくさんあります。上手くまとめることはできませんが、それでも自分の言葉で正直に書いてみようと思います。少し長くなってしまうかもしれませんが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

今回、ティム・バートン監督の映画『ビッグ・フィッシュ』を鑑賞するにあたり、まずは彼がどんな人物なのかを調べてみました。
「ティム・バートン監督」という名前は以前から何度も耳にしていたものの、実はどんな作品を手がけてきたのかはあまり知りませんでした。調べていく中で、『チャーリーとチョコレート工場』『アリス・イン・ワンダーランド』『シザーハンズ』『ウェンズデー』など、これまでに観たことのある作品が実はティム・バートン監督のものだったと知り、「これもバートンだったのか!」と驚きました。

私は普段、ディズニー映画のような王道ファンタジー、つまり「キラキラしていて」「明るくて」「主人公が敵を倒して」「ハッピーエンド」という世界観が好きでよく観ています。そのため、ティム・バートン監督の作品を改めて振り返ったときに、「ファンタジーでありながらも、どこか独特な世界観だ」と感じました。彼の作品には、ポップで陽気な要素もありつつ、どこか不気味でダークで、孤独を感じさせる独特の空気感があります。
そういった作風の背景には、彼自身の幼少期が大きく関係していることも知りました。孤独で内向的な子ども時代を過ごし、墓地や怪獣映画、ホラーを好み、静かな時間を絵や妄想にふけりながら過ごしていたそうです。また、ウォルト・ディズニー・スタジオで働いていた頃には、「クローゼットにこもる」「机の下に潜る」など、周囲から見ると奇行とも取れるような行動が目立ち、周囲に馴染めない“問題児”だったとも記されています。

ティム・バートン監督が描く、少し不気味でダークなファンタジーの世界は、彼の内面や過去の体験から生まれているのだと実感しました。そして、それが多くの人の心に残る、独特で深みのある作品を生み出しているのだと思います。

それでは、今回の課題である『ビッグ・フィッシュ』を鑑賞しました。

子どものころは、おとぎ話のように楽しく父・エドワードの話を聞いていた息子・ウィル。しかし成長するにつれて、その話がどこまで本当なのか分からず、次第にうんざりしていきます。やがて父との距離を置くようになったウィルでしたが、エドワードが病気になったことをきっかけに、「本当の父の姿」を知ろうと向き合い始めます。

物語は、現実の出来事と、エドワードの語る空想のような世界のパートに分かれて進みます。
ティムバートン監督といえば、どこか不気味でダークな世界観が特徴の作品が多い印象でしたが、この映画はそれとは少し異なり、明るく楽しく、そして温かみのあるファンタジーが広がっていました。エドワードが語る物語は、まるで本当に彼が歩んできた人生のように感じるほど想像力にあふれており、最後には心がじんわりと温かくなる感動的なラストが待っていました。

嘘と想像力の違い

最初は、嘘は悪いものだと思っていました。
食べたのに「食べていない」と言う。見たのに「見ていない」と言う。そんな現実を隠してごまかすような嘘は、相手を裏切ったり、信頼を壊してしまいます。でも世の中には「優しい嘘」もあると思います。
たとえば、「いい子にしてるとサンタさんがプレゼントをくれるよ」という言葉は、子どもの夢を守り、ワクワクを与えるための嘘です。あるいは、「ちょっとミスしちゃったかもしれないけど、すごく良かったよ!」と声をかけるのは、落ち込んでいる相手を励ましたいという優しさからくる嘘です。
このように、愛情や思いやりから生まれる嘘は、必ずしも「悪」ではないと思いました。

そして「想像力」についても考えました。
想像力とは、実際に起きていないことを、心の中でふくらませて思い描く力のこと。
たとえば、夜に帰宅中、カレー屋さんの前を歩いていたら、ネズミが目の前を走って行って驚いたことがありました。すごく鳥肌が立ち怖くてその場に固まってしまったのですが、あとからこう考えました。
「今のは、(映画『レミーのおいしいレストラン』に出てくる)レミーだったんだ。カレー屋さんのスパイスをこっそり味見して帰るところだったのかもしれない。」そう思うと、不思議と怖さが和らぎ、むしろほほえましく思えました。これも想像力のひとつだと思います。

人を楽しませるってどういうこと?

エドワードの物語も、ただの「嘘」ではなく、聞く人を楽しませ、人生を豊かに彩る「想像力」から生まれたものだったのではないかと感じました。そして、その物語が父と息子の心の距離を少しずつ近づけていったことが、とても印象的でした。
「嘘」も「想像力」も、使い方次第で人を傷つけることもあれば、あたたかく包むこともできる。

愛される人になるには?

エドワードの話は、彼が作った“嘘”だったのかもしれません。けれど彼の葬式には、かつて彼の話に出てきた巨人や双子、サーカスの仲間たちが本当に集まってきます。つまりエドワードの語っていた物語は、すべてが作り話ではなく、実際にあったことに基づいた「彼なりの真実」だったのだと思いました。

正直、「嘘と想像力の違い」は、今の私にははっきりとした答えは出せません。
でもエドワードが語ってきた人生は、多少大げさで現実離れしていたかもしれないけれど、それは人を楽しませたい、ワクワクさせたいという想いから生まれたものだったのだと思います。辛いことや苦しかったことも、「悲しい現実」としてではなく、「壮大な冒険」として語ることで、自分自身もまわりの人も、前向きに生きていけるようにしていたのかもしれません。それはきっと、エドワードの強さであり、優しさだったのだと思います。

私は日常のなかで、つい物事をネガティブに捉えてしまうことがあります。だからこそ、どんな出来事も明るく楽しい物語に変えてしまうエドワードの姿勢はとても印象的で、私自身も少しずつそんなふうに考えられるようになりたいと感じました。

そして、エドワードのように人生という壮大な冒険をしていきたいです。

まだまだ語りたいこと、伝えたい考えはたくさんあります。でも、残念ながら今回はここまでです。これから少しずつ、自分の思いや考えを整理して、きちんと伝えられる力を身につけていきたいと思います。

今回の社長賞七つ目は
『自分の人生に無限の想像力を』
作者:M氏

ビッグフィッシュ、、、初めて観ました。自分なりにビッグフィッシュを理解したくて、今回の課題に向け2回観てみました。
父子の物語で、自分を重ねてしまう場面が多かったなと…

今回の課題である
「嘘と想像力の違い」「人を楽しませるってどういうこと?」「愛される人になるには?」

嘘と想像力の違い

嘘って、嘘だよな?想像力って想像力だよなと思い、一旦検索…
「嘘は事実と異なることを意図的に伝える行為であり、想像力は現実に基づかないことを心の中で思い描く能力です。」

ビッグフィッシュの父親は……果たして当てはまるのか?と思いました。話に意図的にユーモア(嘘)を混ぜて、伝える。父から子へ向けたに優しい嘘?でも嘘と言っていいものなのか。。。
嘘と想像力の違いって、事実とは異なる想像を伝えるか伝えないか…かなと思うんですが、嘘という言葉には悪いイメージもあります。実際にビッグフィッシュでも子が大人になるにつれ呆れてしまったように…

人を楽しませるってどういうこと?

ここで2つ目の課題を混ぜたいのですが「人を楽しませるってどういうこと?」ビッグフィッシュの父はみんなを楽しませるために、優しい嘘をついていたと思うんです。そして、子もそれに気付いた時、父へ同じように嘘をつきました。

ここでさっきの課題の話に戻ります。これは嘘なのか??
私は想像している事を言葉にするとき「あくまで想像なんだけど」と一言添えて伝えます。何故なら……事実だと誤って捉えられてしまった時にそれは嘘になるから。

でも父も子もそう言ってないんです。何故だろうと思った時に私はあの父子が夢を話していたからではないかなと思うんです。
お笑い芸人さんを思い出してください。人を楽しませるためのトークやネタは全て事実ですか?私は、きっと事実だけでなく、この話こうだったら良いなを話してると思うんです。
私が思ゔ人を楽しませるこどとは、人に夢を伝えることだと思います。

愛される人になるには?

私は人を楽しませようと夢を伝えることだと思います。事実と異なることは嘘です。ただそこに゙人を楽しませたい゙気持ちがあった時、それをその人の゙あったらいいなの1つの夢゙だとしたら素敵ではないですか?

今回の社長賞八つ目は
『ビッグ・フィッシュ〜嘘がつなぐ人生の話〜』
作者:S氏

今回の課題を見て最初に思ったことは過去の課題にも出た「フォレスト・ガンプ」にどこか似ているような感覚になりました。ティム・バートンが普段創り出す世界観の映画とは違い、現実味のある別の一面が垣間みえた映画だと思いました。

嘘と想像力の違い

上記のテーマを考える上でまず「嘘」を辞書で調べてみました。
「嘘」事実ではないこと。 人間をだますために言う、事実とは異なる言葉。 偽りとも。

このことから嘘をつく相手を騙すという言葉に着目しました。これは相手を陥れたり何か負の感情が込められているように思えます。

変わって「想像力」は「想像力」想像する能力や、心の働き。

辞書の意味を考えると何かプラスの感情が読み取れます。上記の辞書での意味を踏まえて考えた時、嘘と想像力の違いは伝えた相手をどのように導くかに違いがあるのではないかと思いました。
映画でも主人公は父親にずっと嘘を言われていたと思っていましたが、ある時その嘘が父の想像力によるモノだったと分かった時父に対する感情が一気に変わりました。そして映画のエンディングの際には父が話したことは嘘ではなくある意味事実だったと悟ります…
主人公の父親に対する感情の変化により嘘と想像力の違いが分かった気がしました。

人を楽しませるってどういうこと?

人を楽しませるには相手に没入してもらう事が大切だと思います。営業マンなどが使う会話のテクニックに相手に「想像」されるやり方がありますが、このテクニックがあれば会話などで相手に想像させ没入させることで人を楽しませるのではないかと思います。
また、会話だけでなく視覚的にも相手を楽しませることはできます。映画のなかではサーカスが出てました。これもまた芸に客が夢中になることで楽しませることをしていたと思います。人によって感じ方はそれぞれありますが五感を刺激するものは人を楽しませると思います。

愛される人になるには?

映画を見て感じたことは主人公の父親のように紳士的であること。そして、たくさんの人と繋がったことだと思います。父が亡くなってお葬式にはたくさんの人が来ました。これは父が愛されていたことの証拠であり、何より父は母を1番愛し周りの人にも愛を注いでいたのだと思いました。
良いことも悪いことも巡り巡って自分に返ってくるとはこのことで愛を振りまくことで自分に返ってくるのだと思いました。死ぬ時は自分で答え合わせができませんが主人公のように身近にいる人に生きた証を見せれるような人生を送りたいと思いました。

以上、社長賞の受賞おめでとうございます!!

課題としてティム・バートン監督の作品『ビッグ・フィッシュ』が選ばれた背景には、単なる映画鑑賞にとどまらず、私たちが仕事や人間関係、そして「伝える」という行為について改めて考えるきっかけを持ってほしいという意図が込められていると感じました。

『ビッグ・フィッシュ』は、監督がこれまで描いてきた幻想的で奇抜な世界観とは少し異なり、現実世界を土台にしながらも、豊かな想像力と物語性によって彩られた作品です。父親と息子の間にある“距離”を、「大きな魚」という象徴的なモチーフを通して描いており、その根底には「嘘と想像力の違いとは何か」「人を楽しませるとはどういうことか」という、私たちが日々向き合うべき問いが潜んでいます。

例えば、仕事においても「誇張」と「クリエイティブな発想」の境界線は曖昧なことが多くあります。ただの“嘘”ではなく、相手を楽しませる、信じたくなるような“物語”として伝えられるかどうか。その違いは、伝え手の誠意や想像力、そして相手への愛情にあるのだと、この作品は語っているように思いました。

また、「愛される人になるには?」というテーマについても、エドワード(主人公の父親)は必ずしも正直な人物とは言えませんが、周囲の人々に愛される存在でした。その理由は、彼が語る物語の中に“人を楽しませたい”という純粋な気持ちが込められていたからだと思います。

社長がこの映画を「とっても見やすい」と表現されたのも納得です。暗くなりがちなテーマを、明るく、温かく、ユーモアを交えて描いていることで、より本質が伝わりやすくなっているからだと感じました。

この課題を通じて、単なる映画鑑賞を超えて、日々のコミュニケーションのあり方や、自分自身が「どんなふうに人と関わっているか」を見直すきっかけになったのではないかと思います。